ロンドンでネコ専用タクシーを営むネコのトムが、ひょんなことからアフリカのサルの王に招待され、飼い主のランスさんといっしょに旅に出ることになる。船に乗って海を渡り、川や草原で様々な動物たちに助けられながら、サルの王国ゴロンゴロン高原へ。サルの王に会い、タクシーとはどんなものかを教えたり、人間と動物の関係について語りあったりする冒険物語。実在の場所が出てくるわけではないが、小学低〜中学年の子どもたちがアフリカの大地に思いを馳せ、想像力を広げるのに一役買ってくれそうな1冊。おおらかな挿絵が、とぼけた味わいのお話によく合っている。『ネコのタクシー』の続編。
火事で両親を失い、突然イギリスからケープタウンの鳥獣保護区の祖母のもとに行って暮らすことになった11歳の少女マーティーン。祖母にあまり歓迎されていないのを感じ、学校にもなじめないマーティーンは、やがて白い不思議なキリンと出会い、そこから今まで知らなかった自分を発見し、思わぬ事件に巻きこまれていく。謎ときのおもしろさがあるストーリーにひきつけられながら、読者はマーティーンと視線を合わせて、南アフリカの未知の世界の冒険を楽しめる。ジンバブウェで育った著者が敬意をもって描く風景や、野生動物と人とのかかわり、まじない師を含む人々の暮らしぶりなどがリアルで興味深い。
16歳の少女チャンダが主人公のYA小説。舞台はアフリカ南部の、とある国。そこではエイズという言葉はタブーであり、HIVに感染することは恥ずかしいこととされていた。偏見のせいで正しい知識が得られないため、予防ができず、さらに感染が広まってしまう。チャンダは義父、妹、そして最愛の母をもエイズで亡くしてしまうが、過酷な状況にあっても、強い意志と行動力で沈黙のタブーをやぶり、周囲の人たちをも変えていく。今、世界中で大きな問題となっているHIV/エイズ。この本を読んで、アフリカの現状を知るとともに、日本の現状についても考えてみてはどうだろうか。日本は先進国で唯一、HIV感染者が増えている国なのだ。
マラウイ最大の都市に住むビンティは、私立の女子校に通い、啓蒙的なラジオドラマに出演している13歳の少女。その順調な日々が、父のエイズ死をきっかけに暗転する。おじの元で働かされ、HIVへの偏見にさらされる状況に陥り、姉はそこから逃げ出すが、ビンティはひとり祖母の村へと向かう。祖母は、エイズから目をそらさず、村の孤児たちを引きとって教育を受けさせるなど、人々の信頼を集める人物だった。つらい現実に打ちひしがれていたビンティだったが、まわりの人々に助けられながら生活に希望を見出していく。少女の内面の成長を描きつつ、マラウイの社会状況やHIVをめぐる現実についても、綿密な取材に基づいてわかりやすく書いている。
11歳のステファンの住むスーダン南部の小さな村では、もう3年も雨が降らず、畑は干からびてしまった。スーダンでは内戦が15年も続き、父親は兵士として村を出たきり帰らない。それでもステファンは明るく暮らしていたが、ある日村が襲撃にあい、母は殺され、姉もゆくえがわからなくなってしまう。ステファンは友だち2人と一緒に、ケニアの難民キャンプをめざして歩き始める。日本の読者には想像もつかないほどの極限状況の物語だが、主人公の心情が具体的に描かれており共感をもって読める。子どもが自発的に手をのばしそうな装丁ではないが、アフリカの現状に目を向ける糸口として読んでほしい本。
南アフリカで行われていたアパルトヘイトの実態を15歳の少女の目を通して描いている。生まれ育った土地から不毛の地へ強制移住を命じられた村の人々の反応、抗議に立ち上がった子どもたちへの仕打ち……。リアルな描写に胸がつぶれる。アパルトヘイトについて史料的な本はあるが、その中で人々がどのように思い、行動し始めるようになったのか、その揺れる心持ちを知るにはこのような小説を手に取るのが一番だと思う。歴史的事実の裏には、必ず無名の多くの人の思いがあふれているのだということを本書は教えてくれるだろう。原書は古い(1989年)が、訳者後書きでそれ以降の南アフリカの状況を補足している。
政府軍に家族を皆殺しにされ、反乱軍の少年兵になったカニンダ。不本意にも慈善団体に保護され、アフリカからロンドンの裕福な里親に引き取られるが、故郷に帰って敵の氏族を殺すことだけを願い続けている。凄惨な記憶がくり返しフラッシュバックされ、カニンダの憎悪と殺意がひしひしと伝わってくる。対立するロンドンの少年グループ、憎き敵の氏族の転入生、罪の意識に押しつぶされそうな里親の娘ローラ……だれもが一触即発の状態で、緊迫感があり先を読まずにはいられない。著者はイギリスYA小説の名手。都会のティーンエイジャーの葛藤とともに、少年兵の心の深い傷が伝わり、リアルな問題として考えさせられる。
アフリカの草原に住むたいくつなキリンは、たいくつなペリカンが郵便配達を始めたのを知り、地平線のむこうで最初に会った動物にあてた手紙を託す。地平線がつきたところにある大海原で、その手紙を受けとったのはペンギン。そこから、キリンとペンギンのたどたどしい文通が始まる。おたがいの姿かたちを知らない2者が、手紙の文章から、見当違いの姿で相手を想像するのが愉快で、文通のゆくえを知りたくなる。とぼけた味わいの挿絵や、書き文字を用いた手紙が物語と一体となり、親しみやすく、読みやすい。アフリカが身近になる物語。
動物を主人公にした8つの物語。南アフリカに古くから住み、自然と調和しながら暮らしてきたサン、コーサなどの人々の世界観や物の見方をよりどころに書かれている。月を捕まえようとするカマキリの話、人間がつくりだしたダムのせいですみかを追われたカワウソの話など、読み進むうちに読者はアフリカのブッシュやサバンナの中に入り込み、動物たちと一緒に物語の世界を楽しむことができる。動物たちを通して描かれた愛や友情、他者に対するやさしさは心の地平線を広げてくれる。物語を楽しみながら、大地や自然を守ることの大切さを感じとってほしい。文庫に入り、装丁がやや地味になったが、文章は中学年の子どもにも読みやすい。初版は1988年。
エチオピアのストリートチルドレンを主人公にした小説。首都アディスアベバに住む少年マモは、母の死後、誘拐されて農家に売りとばされ、過酷な労働をしいられる。一方、ダニエルは裕福な家で何不自由ない暮らしをしていたが、父親の無理解とプレッシャーに苦しみ、家出をする。命からがら逃げだしたマモと、途方に暮れていたダニエル。なんの接点もない2人が出会って、生きるためにギャングの仲間に入った。身を寄せてささえあい、知恵と勇気を身につけ、やがてそれぞれの道を進んでいく子どもたち……。作者は実際に路上でくらす少年たちを取材して、いくつかの実話をもとにこの物語を書いた。さわやかな読後感と希望を残す1冊。
象牙の密輸をめぐる闘いを描く。50年前密猟者によって母親や仲間を殺され、その後群れの精神的支えとなっているゾウ、パパ・テンボと、その時パパ・テンボに足を潰され復讐の憎悪を燃やし続ける密猟者ヴァン・デル・ヴェル。密猟を食い止めに来たハイラム。ゾウの調査をする科学者とその娘のアリソン。それぞれの立場から物語が展開し、謎解きのように進んでいく。4者がそろうラストシーンの迫力は秀逸。ゾウの生態やリーダーの存在、子育ての様子とともに、アフリカのサバンナで象牙をめぐりどれほど残虐なことが起きているかも克明に描かれている。そこに日本も深く関わっていることも、後書きで押さえられている。
ワニ、ライオン、シマウマ、ヘビ、ゾウ。アフリカの人気動物たちが勢ぞろい。5つのお話がつながって1冊の本になっている。ワニのお話の最後に、「ほんとだとおもったらライオンさんにきいてごらん。」とあるように、次のお話の動物の名前が出てきてつながる仕組み。バナナが好きなワニ、歯磨きがきらいなライオン、しっぽをなくしてしまったシマウマ、ものすごく長ーいヘビ、スキップの得意なゾウなど、ユーモラスな設定がおもしろい。アフリカにはこんな動物たちがいるんだよ、と紹介することで、子どもたちがアフリカに興味をもつきっかけがつくれそう。
大昔、ゾウの鼻が短かった頃の話。知りたがりやの子ゾウは、出合う動物に、答えようのないことばかり聞いて歩く。ある日「ワニは何を食べるの?」と聞くが、みんなは「だまれっ!」と言うだけだった。子ゾウはどうしてもそれが知りたくて、はるばるリンポポ川までワニを探しに行く。川でワニに会ってたずねたところが、鼻先に食いつかれ、鼻が長く伸びてしまう。それ以来、ゾウは便利な長い鼻を手に入れたという物語。文章はリズミカルで、次々に登場する動物と子ゾウの珍妙な問答が続く。明るくユーモラスな絵とともに、文字にも工夫があり、自分で読む子どもでも飽きずに読める。ノーベル賞作家キプリングの短編集「なぜなぜ物語」の中の1編。
モザンビークの12歳の少女ソフィアを主人公とした、絶望と再生の物語。盗賊に村を焼かれ、父親を殺されたソフィアは、母親、姉弟とともに命からがら逃げ出す。歩き続けてひとつの村にようやく落ち着いた矢先、今度は地雷を踏んでしまう。姉は亡くなり、ソフィアは両足を切断。何度も孤独と絶望に陥りながらも、自分自身を見失わず、必死に学び努力して仕事と家を手に入れるソフィアの生きざまを描く。モザンビーク在住のスウェーデン人作家が、実際に出会った少女をモデルに書いた小説。貧困や地雷など、この国の人々が直面する問題が迫ってくるとともに、少女が過酷な状況を懸命に生き抜き、自立していく姿に勇気づけられる。
モロッコの女性マリカ・ブラインの実体験を元にオランダの作家ファン・レーウェンが書いた作品。1960〜70年代、カサブランカでは、学生や市民の抗議行動が頻発していた。そんな不安定な社会情勢の中、主人公の少女ジマは、貧しいながら愛情あふれる家で育つ。ある日、町で学生運動をした容疑で兄が投獄される。家族は自分たちも逮捕される危険を感じながら、差し入れや面会をし、できる限り兄を支える。病弱な母を助ける間に、幼かったジマも、家族の力になるまでに成長していく。できごとは悲痛だが、少女の感性で語られることで、さわやかな物語になっている。正義を貫くことの意義、家族愛の大切さだけでなく、モロッコの暮らしや事情を垣間見ることもできる。
イギリスで暮らす少年が父親の仕事の都合で突然アフリカのタンザニアへ行くことになる。目的地に向かう途中軽飛行機がハゲワシの群れに突っ込み墜落してしまい、パイロットと父は重傷を負う。軽傷ですんだ少年は1人で助けを呼びに行こうとするが、そこはライオンの群れなど様々な野生動物が暮らすサバンナ。飛行機という現代文明を象徴するものが失われたことで大自然の中に放り出された少年は、一瞬老ライオンと目と目を合わせ、心を通わせる。死期を迎えた老ライオンと、生きようとする少年との魂の交流を通し、人間も動物も同じ自然の一部なのだということが感じられるように描いている。
両親をエイズで失い、叔父の計略により偽造パスポートでイギリスに送られたタンザニアの少女アベラと、母親に養子を迎えたいと言われ、不信と不安を抱くようになったイギリス人の少女ローザ。別々の境遇で悩む2人の少女が、やがて出会うこととなる。2人の語りを巧みに用いた展開で、読者は主人公に寄り添いながら物語にひきこまれ、貧困、エイズ、孤児、割礼、人身売買、児童虐待、不法入国、異国の暮らし、養子縁組など、今のアフリカやイギリスのかかえるさまざまな問題を知ることとなる。希望のある安心した子ども時代を送ることのできないアベラのような子どもは、アフリカに、そして世界にどのくらいいるのだろうか。